定年退職直前、父の介護は?仕事は?どうする③

こんにちは
月曜日担当
愛知県一宮市の産業ケアマネ
浅井 貞美です。

Kさんの介護の話
最終回です


休暇をとりながら
父親の介護をしていたKさんでしたが
病状が悪化し、父との別れも覚悟しなければ
ならない時がやってきました

介護休業取得

訪問診療の医師から、今後起こりうる父の変化については
丁寧に説明を受けていました
酸素や点滴などの医療管理が必要な状況は
ありません


「家に帰ってもいいか?」と父が言った時
延命はせず、自然にと

父と家族みんなで決めました

Kさん、弟夫婦、甥、姪、離れて住む妹
これから父が最期を迎えるまで
私たちで見送ろう

訪問看護の利用をやめ
Kさんは職場に2カ月の休業を申請しました
母も介護に参加し、家族が協力して
父との時間を自宅で介護しながら過ごしました


そして
約ひと月が過ぎたころ

Kさんのお父様は
本当に穏やかに最期を迎えられました

Kさんのその時の言葉です
「私、父が大好きだったんです。
 看護師さんにみてもらうのは安心でしたが、
 家族が取り残されているみたいでした
 蚊帳の外に出されているみたいで………
 病院のような治療を望んでいたわけではないから
 家族で父を囲んでいたかったんです。
 自己満足かもしれないけど
 私 やりきりました。」

もうひとつの家族の話

実は、ケアマネジャーとして
同時期に別の家族の支援をしました

Aさん家族

重度の認知症の女性、お婿さん、孫娘の
3人家族
認知症のおばあさんの娘さんは病気で
亡くなられていました

ケアマネジャーが関わる前の話です


Aさんのお宅では
親族会議が行われ、誰がおばあさんの面倒をみるのか
話し合いがありました

お婿さんは58歳、孫娘さんは大学4年
今、婿さんが仕事を辞めたら
収入がなくなる
孫娘さんが就職しなくても、家庭の収入は減らないし
学費がなくなる分、お金の問題はない
という理由で

お孫さんが就職せず、おばあさんの介護をすること

これが
親族会議で決定したのです

ありえない話ですが
事実です

家族で介護する

このとらわれが
介護不幸の始まりでした

おばあさんは物忘れがひどく
1分前のことも忘れてしまいます

お婿さんは仕事が忙しいのか
夜遅くしか帰ってこないし、介護には全くかかわりません

近所に住む親せきの人からは
外に1人で出ると大変だから
目を離すなと言われます

孫娘さんは大学を卒業しましたが
社会人となった友人とは疎遠になり
結婚を約束していた彼とも会えなくなり

どんどん精神的に追い込まれてしまいました

孫娘さん自身は、
大人たちに役割を決められ
断るすべも、反論する意思も持たず
間違っているとは気づいていなかったそうです

ケアマネジャーとして
Aさん家族から介護の相談があったのは
孫娘さんが精神的な理由で
介護ができなくなったからです
出会った時、彼女の左腕には
等間隔の傷がありました

KさんとAさん家族は何が違ったのか

介護に正解はないと思っています

ただ、大人が何人も集まって話し合い
決定した結論で
希望に満ち溢れるはずだった
1人の若者の人生を狂わせてしまったことは
やはり選択が間違っていたと言えるでしょう

介護の知識を持つ

1人で抱え込まない

Kさんには必要なタイミングに
適切なアドバイスをしてくれる
専門家がそばにいました

職場でオープンに話ができ
制度を活用できる環境がありました

家族の協力体制がありました

介護不幸ゼロをめざす

ケアマネジャーとして
経験があるからこそ
仕事と介護の両立に悩む方の力になりたい
職場で人知れず悩みを抱えている方が
オープンに話せる環境づくりに役立ちたい

そんな思いで
産業ケアマネをしています


投稿者プロフィール

浅井貞美
浅井貞美
株式会社ビーメディカルにおいて産業ケアマネとして活動中。
看護師歴 10年
大学病院、内科・整形外科クリニックなど
ケアマネジャー歴 17年
居宅介護支援事業所管理者14年
主任介護支援専門員
産業ケアマネ2級
仕事と介護の両立支援コンサルタント養成講座 0期卒業生
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