「地域での活動」Part2~つながる笑顔~


こんにちは
米津玄師 最新アルバム 「LOST CORNER」リピート中♪

愛知県 岡崎市 の 
産業ケアマネ 金原洋子 です。

 第21回 BLOG (^^)/ 


今回は

「地域との関わり」
というキーワードで思い返したとき

いちばんに思い浮かんだ方のこと
綴りたいと思います (^^)/

人嫌いで頑固なじいさん


80代 男性 一人暮らしの Oさん


地域包括支援センターからの依頼で
ケアマネとして担当することになりました

60代で妻に先立たれ
子供が一人いるものの 成人してからは、音信不通

借家の長屋で、長く一人暮らしをされてきました


骨折による入院を機に
介護保険申請をされ、要介護1 の認定です

歩行器を支えに 移動や身の回りのことができます

重度の難聴で 電話での会話はできません

人との付き合いはほとんどなく生活されていました


初めて お会いした時の印象は・・

人嫌いの頑固じいさん!!


言葉は少なく
笑顔もなく

「ほっといてくれ」オーラ満載です (>_<)


生活のために 
どうしても必要な

歩行器をレンタルするために

しぶしぶ
介護保険サービスを利用することになり

ケアマネである
私との関わりが始まりました

Oさんの暮らし

毎月、
Oさんの自宅を訪れ
会話を重ねるうちに

少しづつ
身の上話
をしてくださるようになりました


Oさんは
それは それは 

質素な生活をされていました


毎日の食事は

朝・昼 兼ねて 食パンと牛乳
夕飯は ごはんと味噌汁・海苔の佃煮


唯一のぜいたくは たばこ!
1週間に1箱です


数枚の作業着
洗い替えしながら繰り返し着て、

カーテンは お手製 で
座布団や布団、靴下のほころびも ご自分で修繕されます


電子レンジはありません

聞こえないからと 
テレビもありません

枕元のラジオを
いつも大音量で
聞いておられました


なぜか NHKの受信料を引き落とされていて
解約するのにずいぶん苦労したことを覚えています


年金額は ごくわずかで
生活保護の申請も勧められていました


それを 頑なに拒否するのには
Oさんなりの思い がありました


10代で、故郷を離れ
住み込みの仕事に就いたけれど
つら過ぎて 逃げ出した過去

妻に苦労ばかりかけたと 後悔する気持ち

疎遠になっているけれど
弟がいて 生活保護を受けている
兄として助けられなかった負い目


「世間に迷惑をかけたくない」
という 強い思い・・・


Oさんの頑固さには
尊い思いが詰まっていたのです



この人の笑顔が見たい!

それが 私の中での
目標になっていました

初めて見る笑顔

人との交流なく
一人で 地道に 
生活を守ってきたOさん
ですが

今の暮らしを続けられる状態を維持していくには

リハビリと生活支援が必要でした

サービス利用に消極的だった
Oさんが

その気になったのは

サービス担当者会議でした

事情を共有したうえで
集まってくださったメンバーは

福祉用具・リハビリ・ヘルパーの各担当者
ケアマネ


に加え

長屋の大家さんである地域の総代さん
近所の民生委員さん
地域包括支援センターの職員さん



自宅に こんなにたくさんの人が集まったのは

初めてです



大家さんも民生委員さんも

Oさんのことを
ずっと前から 心配してくれていたことが分かりました

ここにいる全員が

「Oさんの応援団」


であることを伝えました


神妙な面持ちで聞いていた
Oさんが

「お願いします」

と照れくさそうにおじぎをして


歯のない顔で

にこっ と笑いました

初めて見る 笑顔でした
(やった!笑った(^_^)v)

その場の 全員が 笑顔になりました

地域でのつながり

Oさんの冷蔵庫に
卵が常備
されるようになりました

毎週 リハビリの先生が 筋肉をつけるために
「卵食え!と持ってくる」
と嬉しそうに Oさんが教えてくれました

セラバンドを貸してもらい
毎日 熱心に自主トレを続け

目標の近所のコンビニまで行くことができるようになりました。

訪問リハビリ卒業の記念に
先生からセラバンドをプレゼントされ
喜ばれていました

と同時に
あの 人嫌いだったOさんが
心から 「ありがとうございました」 と伝える
さみしそうな笑顔
に 涙が出そうでした


その後も
セラバンドが切れるまで自主トレを続け

近くの公園までの散歩を日課として続け
毎朝、公園で 通勤途中の私に手を振ってくれます

公園でゲートボールを見学するのも楽しみになりました


地域でOさんの顔を知る人ができ
声をかけてくれる人が増えました

介護サービスの入らない日は
 
大家さんや民生委員さんが
自宅を覗いたり、声をかけてくれます



歯のない顔で
にこっ と笑う
Oさんの笑顔はなんともチャーミングなんです


しばらくして
住んでいた長屋が取り壊されることになりました

身寄りのないOさんが
賃貸アパートを探すのは難しく

大家さんのご厚意で
近くの空き家への引っ越すことが決まりました


少ない荷物でしたが
近所の方が 軽トラックを出してくださり
顔見知りの地域の方が協力して下さいました

その後も
地域での交流は続き


野菜や果物を差し入れてくださる方もあり

Oさんは
相変わらず無口ですが
にこっと笑顔で挨拶を交し
いつも 楽しそうに
日課の散歩を続けられていました


ある日
Oさんが自宅内で転倒しているのを
見つけて
救急車を呼んでくれた
のは

通りがかりに様子を見に来てくれた
民生委員さん
でした


その後、入院を経て施設へ入所されました

ケアマネとして関わらせていただいた
数年間…
振り返ると これで良かったのかなと
答えの出ない思いもあります

それでも Oさんの笑顔は
心に残っていて
きっと 忘れないと思います

介護がきっかけで生まれるもの

長い間 ほとんど人と関わらずに
生活してきた
Oさん

介護が必要な状態となったことが
人と関わる機会になりました


Oさんを応援する
医療・介護関係者と地域支援者のチームができ

人と関わり
人を受け入れ
つながり


Oさんの笑顔が見られました

Oさんに関わる
私たち関係者の連携体制ができました

Oさんのおかげで
地域での支援の輪も広がりました


介護 って

つらい 大変
 という

ネガティブなイメージで捉えられがちだけど 


介護を通して

その人の人生 や 価値観

を知ることがある。



介護がきっかけで
生まれる 

笑顔 や つながり

もある。



介護 って

大切なことに出会える

かけがえのない時間だったりもするのです


そんな 

介護の しあわせな部分も

たくさんの人に 知ってもらいたい 


と願い、活動を続けています。



最後まで読んで下さりありがとうございます。


一般社団法人リョウリツ  https://ryouritsu.com/




投稿者プロフィール

金原洋子
金原洋子
一般社団法人リョウリツ
産業ケアマネ2級
「仕事と介護の両立支援コンサルタント養成講座」 0期卒業生
主任介護支援専門員/社会福祉士/介護福祉士
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